イスタンブール到着①(2011年05月01日)
******イスタンブールへ******
当初の予定ではイスタンブール到着が5:45、
その後7:25の便でネヴシェヒル(カッパドキア)へ移動するつもりだった。
が、上海出発が1時間遅れたことで、この予定に狂いが生じてしまった。上海とは違って、スムーズに入国審査を終えると、急ぎチェックインカウンターへと向かった。 乗り継ぎ便の約30分前に到着し、ほっと胸を撫で下ろしながら、チェックイン手続きをした。 が、、『申し訳ありませんが、既にシステムが閉じてしまいました。』と。 なんとトルコでは30分前のチェックインは遅すぎたのである。 よく見ると確かに45分前までとの記載がある。 もっとも、後に訪れたカイセリ空港などでは、30分を過ぎてもチェックインできたりしたので、 空港によるのかもしれないが。 こうなると、予定を変更するしかない。 夕方の便を取り直し、宿へは予定より遅れる旨を連絡。 このとき、国際通話が可能なクマのi-phoneを借りたが、なるほど最近の携帯は便利なものである。 と、思っていたら、実は私の携帯も繋がることを後で知った。 私も文明の恩恵を蒙ることができたわけであるが、そのことを書くのは脇道に逸れすぎるという ものであろう。 さて、何がともあれ、予定外にイスタンブールで時間ができたわけである。 歴史に溢れるこの街を、さっそく観光することにした。
******ブルーモスク******
市内中心部へはメトロ(地下鉄)とトラム(路面電車)を乗り継いでいけばよい。
乗継駅のゼイティンブルヌ(Zeytinburnu)を降りると、さっそくトラムがやってきたので、飛び乗った。
が、行き先が私の記憶とは違う。
どうもおかしい。
気を取り直して向かったのが、スルタンアフメット・ジャーミィ、通称ブルーモスクである。 スルタンアフメット駅で降りると、それはすぐ目の前にあった。 そう。モスクをみないことにはトルコに来た気がしないではないか。 このモスクこそがイスタンブールのシンボルともいうべきモスクで、まさにTheイスタンブールなのである。
こうした傑作建築物にも関わらず、見物料をとられることはない。 モスクなので、お金をとるなんて考えられない、というわけである。 法外な拝観料を取る日本の神社仏閣とは大変な違いである。 国民の信心深さの違いで、信者の寄付だけで成り立つということなのだろうか。 いずれにせよ、そうしたことも実に素晴らしいと思う。
******アヤソフィア博物館******
さて、そのブルーモスクの前には、アヤソフィア博物館がある。
これもイスタンブールを代表する歴史的建造物。
いや、世界を代表する建築物といっていいだろう。
今見ても、壮麗というほかなく、まさに息を呑む素晴らしさである。 大帝ユスティニアヌス帝による創建は537年。 今から約1500年前にこれだけの建物が建築されたというのは、 当時の東ローマ帝国の技術の素晴らしさに感心せざるをえない。 日本の古代で有名な建築物といえば法隆寺だが、その創建が607年であることを思えば、 ただただ感心するほかない。 私がイスタンブールを好きな理由のひとつが、こうした建物が残っていることにある。 言うまでもないことかもしれないが、ここは東ローマ帝国時代に ギリシア正教の総本山と して世界に君臨していたのである。 今でこそカトリック全盛だが、当時は西のローマ教会に対して、東のギリシア正教は 欧州最強国の東ローマ帝国の庇護のもと大いに栄えていた。
異教徒の建物は破壊されるのが常である。 が、オスマン帝国はそうしなかった。 それが素晴らしい。 ただし、さすがにキリスト教の総本山をそのままにすることはなかった。 モザイク画を漆喰で塗りつぶして、ジャーミィ、すなわちモスクに変えられた。 漆喰の下のモザイク画が再び発見されるのは、20世紀のことである。 それ以来、博物館として現代に残されている。 モザイク画は残念ながら損傷が激しく、現在修復中とのこと。 実際に、目を瞠るようなモザイク画はなかった。 ところで、キリスト教は偶像崇拝を禁止しているのではなかったか?とクマがつぶやいていた。 イスラム教が偶像崇拝を禁止しているのは知っているが、はてキリスト教はどうだったか。 気になったので調べてみたところ、偶像崇拝は禁止しているものの、 イコンという聖像を崇めることは許されているらしい。 なるほど、ここにあるモザイク画はイコンというわけである。 さて、ついでにもうひとつ。 ここには『マリアの手形』というものがある。 柱にくぼみがあって、そのくぼみに親指を入れて、手首を一周させられれば、 願い事がかなうという。 私が何をお願いしたかは、、、もちろん秘密である(笑)。
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