エフェス②(2011年05月03日)
******エフェソス******
それにしても、エフェス遺跡の保存状態は素晴らしい。
建物は積み直して復元されたものとはいえ、元の石などは遺跡のものを使っているようなのである。 日本最大級の古代遺跡といえば、吉野ヶ里遺跡(それでも、エフェス遺跡に比べればはるかに新しい) が思い浮かぶが、まるで規模が違う。 いや、面積でいえば、吉野ヶ里も相当な広さだが、木造集落の遺跡では柱の穴しか残らない。 素人には、石造りの遺跡のほうが遺跡らしく感じるのである。 遺跡の石がたくさんあると、規模が大きいと感じ、感動してしまうわけである。 ドラクエやファイナルファンタジーなんかだと、なにか重要なイベントが発生しそうな オーラが出ている感じ(笑)。
月の女神であるアルテミスを奉り、その壮麗さを称えられたこの神殿は、なんと紀元前 550年頃に建てられたと言われる。 日本がまだ縄文時代から弥生時代に移ろうとしている時期の話だから、 その凄さが分かろうというものである。 この神殿に放火をしたら、有名人になれると考えて放火をした馬鹿がいたらしい。 今も昔も、馬鹿はいるものだが、そういう馬鹿を生み出してしまうほど、この神殿が 壮麗だったということなのだろう。 しかしながら、ローマ帝国がキリスト教へと改宗したことで、アルテミス神殿も破壊され、 残念ながら今はほとんどその痕跡が残っていない。 エフェソスはローマ帝国の支配下に入って後も栄え、8世紀頃にその繁栄に幕を閉じたと言われる。 紀元前から栄えた古代都市の遺跡でありながら、これだけ保存状態がいいのは、8世紀まで街が続いた おかげなのかもしれない。
******怪しいガイド******
帰りは遺跡の入り口までやってくるドルムシュに乗って、セルチュクへと戻った。向かった先は、エフェス考古学博物館。 ガラス容器が展示されており、よく見ると紀元前に作られたと書いている。 その技術力に驚かざるを得ない。当時のエフェスは紛れもなく、 世界最先端をいく地域だったのである。
さて、このエフェスにはエフェソス遺跡の他に、もう一つ著名な観光地がある。 『聖ヨハネ教会』がそれである。 イエスの弟子として、高名なヨハネが晩年を過ごしたとされるだけあって、欧米の観光客に人気が高いとか。 博物館も後にした我々もそこに向かうことにした。 教会は18:30までということであるが、時はすでに18時。 入場できるかな?と言いながら、門の前まで行くと、門の前にいた若者がもう入れないよ、と教えてくれた。 可哀想だから、少し僕が説明してあげるよ、と。 おぉ、なんて親切な、と感じる私ではない。 私の頭の中では既に危険信号が灯っている。 クマは早々と打ち解けて、Oh, Thank you!とか言って、さっそくついていった。 このあたり、何よりまず行動という哲学をもっているこの男らしい。 私などは、まず警戒してしまう。 が、旅は道連れ。道連れのいいところは、違った思考回路をもつ人間と行動すると、新鮮な体験ができることである。 ここはクマについていって、様子をみることにした。 しばらく門の付近で説明をしていた若者が、さらに教会の裏手へと案内をし始めた。 秘密の入り口へ案内してあげるよ、と。 ここにきて、クマの警戒水域も越えたらしく、「いつでも逃げられるようにしておこうか」と。 いや、引き返すなら今がええやろう、と話して、引き返すことに。 「ありがとう。我々はここまでで、いいよ」と。 すると、案の定、親切そうにみえた若者が騒ぎ始めた。 ガイド料をよこせ、と。 やはり、過剰に親切な人は怪しいのである。 あんまりに騒ぐので、クマがお金を握らせて黙らせた。 私は払う必要はないと思ったが、まあ、無難に過ごすにはそのほうがいいのかもしれない。 ともあれ、若干後味悪く、ヨハネ教会を去って、ホテルへと戻った。
******夕食******
夕食は、ホテルのおばちゃんの手料理。 味はまずますというところ。 ただ、残念だったのは、お酒がなかったことである。 トルコはイスラムの国である。本来お酒はご法度で、ここの宿主は敬虔な信者なのかもしれない。 ともあれ、旅に酒はつき物と信じる我々は、夕食後に飲みに出かけた。 郵便局のある辺りにいくつか飲み屋があり、そのうちの一軒に入った。 飲むのはもちろんエフェスビールである。 こうしてトルコ3日目も過ぎていった。
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