鐘楼、兵馬俑(2010年7月17日)
******鐘楼******
朝起きると、雨の音。

雨の湘子門国際青年旅舎 事実上の西安初日は雨のスタート。 日本は梅雨。西安も梅雨があるのだろうか? 砂漠が近い西安は雨が少ないと勝手に思い込んでいたが、大きな勘違いだったようである。

ユースホステルで、欧風の朝食を取ると、街の真ん中にそびえる 鐘楼へと向かった。 朝食といえば、ユースホステルの朝食に中華メニューはない。 非常に満足度の高かったこのユースホステルで、それだけが残念である。

話がそれた。 中国の古い街には、たいていこの鐘楼というものがあるらしい。 英語でBell Tower、その名のとおり大きな鐘が置かれた建物である。 昔は、ここから時を伝えていたわけである。

鐘楼より眺める 現代の西安中心部に建つ鐘楼から市街を眺めても、唐代はもちろん明代に思いを馳せるのも難しい。 西安は堂々たる近代の大都市なのである。

が、それでも高層ビルはなく、ところどころに情緒ある建物が立ち並び、 碁盤の目のように整然とした道路を眺めれば、ここがかつての長安だと気づかせてくれます。

さて、話が少し前後しますが、鐘楼へ行くには地下道を通っていくことになります。 この地下道には広告があふれていて、シャープや、パナソニックといった日本の大手メーカーの広告も たくさんあって、驚かされました。 中国へ行ったことがある人には普通なのかもしれませんが、 私は中国には華々しい広告類はないと思っていたんですね。

話が戻ったついでにもう一つ。 鐘の字、中国では『金ヘンに中』みたいな漢字です。 ご注意を。

******兵馬俑へ******
まっさきに鐘楼へ向かったのには理由がある。 町の中心部だけあって、バスがたくさん通るのである。 地球の歩き方によれば、西安駅に行く遊7というバスが通るはずなのである。 が、それは見つけられず。。。

そこで思い出したのが、列車を火車と書くということ。 但し、車の字は、日中で違う。 行き先に火なんとかと書いているバスを発見。 きっとが、西安駅行きに違いない。 他の乗客が1元を渡して乗り込むのを見て、私も無言で1元(約15円)を渡して、乗り込んだ。

西安駅 予想通り、西安駅前に到着! しかし、人が多い。 これが中国か、と圧倒されながら、兵馬俑行きのバスを探した。

駅の東側に並んでいたバスに乗り込むと、目的地を聞かれた。 さて、兵馬俑を『へいばよう』と発音するわけにはいかない。 かといって、英語でも何と呼ぶのか分からない。 仕方がないので、ガイドブックを見せて、ここに行きたいのだ、と。

さらに、カーチィチィには行かないのか?と。 分からん。。。ガイドブックを見ながら、これだ、と。 華清池のことだった。 興味がないので、いや、いいと。 華清池も日本のツアーでは定番らしいが、私は興味がない。

ちなみに華清池で降りれば、5元だったらしい。

******兵馬俑博物館******
兵馬俑博物館。 まさにこれこそが西安最大の目的なのである。

兵馬俑博物館@ 発見されたのは1974年。 まだ36年しか経っていないのである。 秦の始皇帝の墓を守るために作られたといわれる兵士達の像は 発掘されているだけでも数千体。 圧巻である。

ちなみに、発見した方は現在この博物館の副館長をされているらしい。 政府から報奨金をたくさんもらって、日々サインをして暮らしているとか。

さて、まず入ったのは1号坑。 兵士達がずらりと並ぶ様子に、まさに息を呑む。 2200年前もの昔にこれだけのものを作ったということを思うと、 始皇帝の権力がいかに強かったか、そのことを思わされます。

兵馬俑博物館A 始皇帝は不老不死を求め続けたことで有名ですが、 その分死後のこともかなり気にしていたということかもしれない。 そうでなければ、死後の自分を数千の兵士に守ってもらおうなんて思うだろうか。

ところで、兵士達は東を向いて立っている。 西の大国であった秦にとって、敵は東から来るという認識があったのかもしれない。 実際に、始皇帝の死後、秦を滅ぼすことになる項羽と劉邦は東からやってきたわけで、 始皇帝の懸念は当たったわけである。

ただ、正直なところ、こんなものを作ったがために、民衆に大きな負担を強いて、 その不満を招き、ついに滅びてしまったという気がする。 巨大な墳墓の周りには、なんと枯れない水として水銀を流したとか。 実際に始皇帝稜では水銀が検出され、どうやらそれも史実らしいといわれている。 まったく、正気の沙汰ではない。

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