スペイン史⑧(ラテンアメリカの独立)
---ナポレオン戦争--
1789年、隣国フランスで革命が勃発。 1793年、フランス国王ルイ16世が処刑されると、欧州各国はそのあまりにリベラルな思想に震撼し、 反フランス革命の立場を鮮明にします。フランス革命戦争およびその後に続くナポレオン戦争の 始まりです。

フランス王家と同族であるスペイン王家も、当然のように反フランス同盟に参加します。 周囲を全て敵にまわしたフランスは非常に厳しい局面を迎えましたが、 英雄ナポレオン・ボナパルトの登場で、戦局は一変します。 フランス軍の侵攻を受けたスペインはフランスに屈服します。

さらにフランスは、敵対を続けるイギリスを追い詰めるため、大陸封鎖令を発令。 欧州各国に、イギリスとの貿易を禁じます。 その命令に反発したポルトガルを討つために、フランス軍はイベリア半島に進出します。

そうした情勢下の1808年、スペインでは政変が発生し、皇帝が退位に追い込まれます。 この状況をスペインを完全に手中にする好機とみたナポレオンは軍事力をもって、 自らの兄であるホセ1世をスペイン王に即位させます。

が、これは完全にナポレオンの失策といっていいでしょう。 フランス人による支配にスペイン国民は反発し、各地で蜂起します。 イギリスもこの反乱を積極的に支援します。

こうして、スペイン独立戦争と呼ばれる内戦は泥沼化。 フランスは多くの兵をスペインに釘付けにされることになります。

1810年、ロシアが大陸封鎖令を破ったことで、状況は大きく変化します。 その2年後に、ナポレオンはロシア遠征を開始。 ナポレオンはスペインに割いていた兵力を次々とロシアへと送り込みます。

が、よく知られているように、この遠征でナポレオンは大敗。 兵力が手薄になったスペインの地でも、イギリス軍が上陸して、フランス軍を駆逐。

1814年、反フランス連合軍がパリに入城し、ナポレオンは退位。 こうして欧州に大きな戦乱を呼んだナポレオンの天下は終わりを告げたわけです。 スペインでも、ナポレオンの兄のホセ1世が退位して、ナポレオンに幽閉されていた フェルナンド7世が新たに即位します。

---ラテンアメリカの独立--
が、フランス革命は世界に自由主義の風潮を一気に広めたといっていいでしょう。 スペインもその影響により、大きな変動の時代を迎えることになります。

スペイン本国では、1820年にリエゴ革命が勃発し、一時的に王政が廃止される事態となります。 もっとも、これはすぐに鎮圧され、王政が復古しますが、この事件はラテンアメリカの スペイン植民地で既に散発してた独立運動を勢いづかせる結果となります。

リエゴ革命から5年経たないうちに、アルゼンチン、チリ、パラグアイ、ベネズエラ、ペルー、コロンビア、グアテマラ、 エクアドル、メキシコといったラテンアメリカの諸国が次々と独立。 ついに、スペインの植民地はキューバやフィリピンなどわずかしか残っていない状況にまで陥ってしまいます。

さらに1868年にキューバがスペインからの独立を宣言。 キューバでも独立戦争に突入します。

1898年、そのキューバの独立戦争に新興国のアメリカが介入します。 これはアメリカの新聞が反スペイン感情を刺激し、世論が沸騰したために、アメリカ政府も開戦に 踏み切ったという経緯がありました。 新聞が戦争を引き起こした最初の例といわれています。 これが米西戦争です。

キューバのほかにフィリピンでも両軍は激突。 どちらの戦場でもスペインはあっさり敗退します。 力をつけてきた新興国アメリカと、落日のスペインとの力の差が如実に現れたといっていいでしょう。

この戦争に敗れたスペインは、フィリピンとキューバも失い、海外植民地のほとんどを失う結果となりました。

日本はというと、明治維新を経て、日清戦争の4年後で、ロシアとの緊張が高まっていた時期のことです。

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