スペイン史⑤(大航海時代)
---レコンキスタの完遂とスペイン王国の成立---
カスティーリャがイスラム勢力との争いを続ける中、アラゴン王国は地中海に進出し、 イタリア半島にも勢力を築き上げます。アラゴンの勢力もカスティーリャに勝るとも劣らない 大勢力となったわけです。

1469年、スペイン史に特筆すべき出来事が起きます。 カスティーリャ王女イサベルとアラゴン王子フェルナンドの結婚です。 彼らはそれぞれ王位継承権を持つ人物であり、実際に両国の父王が亡くなると フェルナンドは両国の王として即位、イサベルもカスティーリャの女王として即位します。 こうして、両国は統合されたわけです。スペイン王国の誕生です。

こうして国力を増したスペイン王国はレコンキスタの完遂に動きます。 1492年、ついにグラナダを陥落させ、レコンキスタが完遂します。 711年の西ゴート王国の滅亡から7世紀半。イスラム勢力による支配に終止符が打たれたわけです。

---大航海時代---
グラナダ陥落は1492年、といえば、聞き覚えのある年号だと思う方が多いのではないでしょうか。 コロンブスによるアメリカ到達がこの年です。

その出来事に影響を与えたのが、トルコの地に誕生したオスマン帝国です。 それまで地中海の制海権はイタリアの諸国家が握っていたのですが、この強力な帝国がそれらの国から 制海権を奪い、東西の交易を支配するようになっていたのです。

南欧の人々はオスマン帝国の支配する地中海を避けて、新たの航路を求めるようになります。 まずその声に答えたのが、スペインの隣国ポルトガルです。 アフリカ廻りのインド航路の開拓を進め、1488年には喜望峰を発見するなど、 アフリカ航路の開拓にかなり成功していました。

この状況で、大西洋を横断するという西回り航路を提案したのがコロンブスです。 アフリカ航路開拓で出遅れていたスペインが、一発逆転ともいうべきこの計画に興味を示します。 陸路沿いに進むポルトガルのアフリカ航路に比べて、コロンブスの計画が如何に無謀と思われたか 推して図ることができようというものですが、よく知られているようにコロンブスはアメリカへと 到達します。

スペイン大航海時代の到来です。

---アメリカの植民地化---
ところで、コロンブスが初めて上陸したのはアメリカ大陸ではなく、 中央アメリカのカリブ海に浮かぶサン・サルバドル島です。 この周辺より、スペインの征服事業が始まることになります。

1519年にはパナマに総督府が置かれるなどして、征服事業は本格化していきます。 また、この頃には、この地域がインドではなく、彼らにとっての新大陸であることが認知されて いたようです。

ところで、コロンブスを含めて、彼らの征服事業というものは決して褒められたものとはいえないでしょう。 よく知られているように、先住民を徹底的に虐殺し、金銀を搾取するというもので、 彼らから如何にして搾取するかを競っていたかのようです。 そうして莫大な富を得られることを知った冒険者達はコンキスタドール(征服者)として、 次々と新大陸へと渡っていきました。

当時の中央アメリカ、現在のメキシコには、一つの強力な国家が存在していました。 この地で約100年続いていたアステカ帝国がそれですが、 1521年、有名なコンキスタドールの一人、エルナン・コルテスによって瞬く間に滅亡に追いやられます。

さらに、その部下により、ユカタン半島に存在していたマヤの国家群が滅亡。

一方、南アメリカの征服事業を担ったのが、やはりコンキスタドールのフランシスコ・ピサロです。 当時のペルー付近には、約200年続いたインカ帝国が君臨していました。 が、この帝国も末期を迎え、この当時二人の帝位継承者による内戦が勃発していました。 この内戦による混乱を巧みに利用したピサロは1533年に皇帝を殺害、さらに進撃してその首都クスコに 入城します。この中南米に覇を唱えた帝国も事実上滅亡することとなったわけです。

こうして、スペインは中南米の支配を確立していきます。

この時期の東アジアは明王朝成立から約170年が経過し、この大帝国に少しずつ綻びが見え始めた時代です。 一方の日本は、というと、鉄砲伝来の約10年前で、戦国時代の初期にあたりました。

BACK NEXT

Copyright © 2008 はとポッポ all right reserved.