スペイン史②(ローマ帝国~西ゴート王国)
---ゲルマン民族の大移動---
ローマは、その後帝政へ移行することになります。 その帝政ローマ最大の版図を実現したのが、五賢帝の一人トラヤヌス帝ですが、 実は彼はスペイン出身者です。軍の支持を受けて、98年に即位すると、 対外遠征を積極的に進め、東はメソポタミアまで勢力を拡げました。

が、繁栄の後には衰退があるのが世の常です。 375年に始まったゲルマン民族の大移動がこの世界帝国を揺るがせます。 東から襲来したフン族に押される形で、ゲルマン民族の一派である西ゴート族が南下し、 ローマ帝国領内に侵入します。 帝国の中央部に居座った西ゴート族の統治に苦しみ、 ローマ帝国は395年に帝国を東西に分割することになります。

一方、西ゴート族ですが、ローマと協力関係にあったフン族に圧迫され、西へと向かいました。 向かった先が豊かなイタリア半島であり、西ローマ帝国の首都ローマでした。 410年に難攻不落を謳われた西ローマ帝国の首都ローマが陥落。 大いに略奪されます。 当時の西ゴート族を率いていたのがアラリック1世で、 この一族が後にスペインに王国を建国することになります。

アラリック1世から3代後のワリア王はローマと和平を結び、ローマと敵対するイベリア半島の諸民族を 討ち、415年に王国を開きます。 これが西ゴート王国です。 この王国は現在のスペインと南フランスを領有し、首都を南フランスのトロサ(トゥーリーズ)に定めました。

この時代の中国は五胡十六国時代であり、日本は古墳時代を迎えていました。

---西ゴート王国---
西ゴート王国の時代のヨーロッパは混迷の時代といっていいでしょう。 その地域の安定をもたらせていたローマ帝国が衰退し、それに伴い、多くの国が勃興し、 また衰退していった時代です。

その中で西ゴート王国の存在感を際立っているといってよいですが、 ここでは周辺国の興亡と合わせて、西ゴート王国の興亡をみてみましょう。

451年にヨーロッパ中を震撼させたアッティラ大王の率いるフン族を撃破。 それにより、ヨーロッパ中を荒らしまわっていたフン族の脅威は弱まります。

一方、衰退する西ローマ帝国はついに476年に滅亡。 西ゴート王国は西ローマ帝国の支配下であったガリア地方南部(現南フランス)とイベリア半島の大半を 支配下に治めます。500年ごろが西ゴート王国の最盛期といっていいでしょう。

が、栄華盛衰は世の常です。 ガリア北部の小さな新興国が西ゴート王国の繁栄を揺るがせます。 ゲルマン民族の一派であるフランク族を統一したクロヴィスによって建国された フランク王国は徐々に勢力を拡げ、507年についに西ゴート王国を破り、 その勢力をガリア地方から駆逐します。

こうして、イベリア半島に押し込められた形の西ゴート王国は、560年に首都をトレドに移します。 既に軸足をイベリア半島に移していた王国の中心として大いに栄えます。 古都トレドの礎はこのときにできたといっていいでしょう。

この当時の日本は、仏教が伝来し、蘇我氏と物部氏が激しく争っていた時代であり、 隣国の中国は南北朝時代の後半で隋による再統一の約30年前という時代になります。

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