スペイン史①(ローマ以前)
---フェニキア人---
スペインの歴史を語る場合に、どこから始めるべきかどうか、 それが難しいといっていい。それほど、その歴史が古いと言っていいでしょう。

スペインの地は既にギリシア神話に現れています。

太古の昔、英雄ヘラクレスは大陸を二つに割り、 海峡が生まれたと伝わります。 それこそが、ヨーロッパとアフリカ大陸を隔てるジブラルタル海峡です。 そして、その両岸に柱を建てたと伝わります。スペイン国章に描かれている 二つの柱がその『ヘラクレスの柱』です。 両岸にある山がそれにあたると言われています。

さて、この2つの柱は最果ての地を示す象徴的な柱となります。 それより西には 当時のヨーロッパ世界の中心はエジプトやメソポタミア、ペルシアといった地方であり、 スペインのあるイベリア半島は彼らの知識の及ぶ最果ての地だったのです。

果敢にこの最果ての地を目指した民族がいます。 ティルス(現在のレバノン)を中心に海上交易で勢力を拡げていたフェニキア人です。 紀元前10世紀頃、彼らは西欧最古の都市とも言われるガディル(現在のカディス)を イベリア半島に建設します。さらに紀元前9世紀にはアフリカ大陸に植民都市カルタゴ(現在のチュニジア)を建設。 地中海交易で大いに栄えます。

東洋世界は周王朝の初期の時代ですね。日本は、縄文時代の終わり頃でしょうか。

---ポエニ戦争---
フェニキア人の本国ティルスは紀元前8世紀にアッシリアに攻撃されて衰退しますが、 それとは逆にその植民都市カルタゴは大いに発展し、ついに西地中海の覇者として君臨することになります。 紀元前6世紀~紀元前3世紀の西地中海はカルタゴの時代といっていいでしょう。

が、紀元前3世紀頃になると西地中海世界に新興の強国が出現します。 共和制ローマです。

両雄並び立たず。紀元前264年、ついに両国は激突します。 史上名高いポエニ戦争です。

その一連の戦争のうち、最も有名な第二次ポエニ戦争でスペインの土地が重要な役割を担うことになります。 第一次ポエニ戦争で既に西地中海の制海権を失っていたカルタゴが効果的にローマを攻撃するのは難しい 情勢でした。が、カルタゴの名将ハンニバルはある秘策を思いつきます。

それは、ローマを防備な手薄な北から攻撃するというもので、それを実行するためには、カルタゴの領土で あるイベリア半島からピレネー山脈を越え、さらにアルプス山脈を越えるという過酷なルートをとる ことになります。5月にイベリア半島を越えたハンニバルがアルプスに差し掛かったのは既に9月。 これほど高い山脈にあっては厳冬の季節に入ったといっていいでしょう。 その季節に戦象を連れてアルプス山脈を越えて、ローマ軍を急襲、その大軍を撃破します。 世に名高いハンニバルのアルプス越えです。

が、ローマも粘り強く抵抗し、やがて反撃に転じます。 ハンニバルの本拠ともいえるヒスパニア、すなわちイベリア半島を攻撃して、これを奪取。 ハンニバルの補給線を断ちます。 これを成し遂げたローマの名将スキピオは、ついにハンニバルと北アフリカで激突し、 大勝します。世に言うザマの戦いです。 これに敗れたカルタゴは紀元前149年についに滅亡します。

これ以後、長きに渡り、イベリア半島はローマの支配下に入ることになります。

中国は漢の武帝の時代であり、日本では本格的な稲作時代を迎えた時代のことです。

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