******宗教改革の始まりの街******
ドイツに歴史的に重要な街は数多いとはいえ、世界史にとっても重要な都市となると、そう多くありません。
その数少ない都市の一つがベルリンとライプツィヒの中間に位置するヴィッテンベルクです。
正式名称をルターシュタット・ヴィッテンベルク、すなわちルターの街ヴィッテンベルクといいます。
1517年、マルティン・ルターが、この街のヴィッテンベルク大学の聖堂の扉に張り出したテーゼ(疑義)が世界を変えたと言っても言い過ぎではないでしょう。
あまりに有名な95箇条の論題です。
ルターが免罪符に疑問を覚えて、問題提起したテーゼは多くの人の共感を呼び、世界は宗教改革へと突き進んでいったわけです。
この街を見ずして、ドイツを去るわけにはいかない、というのが私の感覚です。
2年後の2017年に95箇条の論題が張り出されてから、500年という節目の年を迎えるため、街はその記念の年に向けてどこもかしこも改修工事中。
95箇条の論題が張り出された扉の前も残念ながら工事中で近づけませんでした。
とはいえ、フェンス越しに見ることはできたので、それを見ながらここから世界が変わったのかと感慨に浸ったと言いたいところですが、扉は当時の扉ではなく、再建されたもの。
それをフェンス越しに見ても、なかなか感慨が湧かないものです。
それでも、無理やり500年前に思いを馳せました。
人々がルターを熱狂的に支持したのは、人々の信仰を食い物にして金儲けをするカトリック教会に対する反感が背景にあったといって、間違いないでしょう。
その反感がドイツ農民戦争を引き起こし、その後のシュマルカルデン戦争、三十年戦争というドイツを荒廃させる原因となった大戦争へと繋がっていったわけです。
ルターの登場は歴史が生んだ必然と言っていいと思いますが、免罪符はカトリック教会の傲慢が生んだもの。
それが、大戦争を引き起こしたと思えば、これほど罪作りなことはなく、免罪符という名は皮肉としかいいようがありません。
さて、ルターが教えを説いたとされる教会が市の中心部にあります。
マリア教会です。
プロテスタントの教会らしく、質素な教会でした。
ルターという人は宗教改革を主導しましたが、旧体制の打破を意図していたかというと、それは怪しい。
ルターに共感し、聖職者が富を独占することに疑問をもったトマス・ミュンツァーが、農民の指導者として立ち上がると、ルターは激しい嫌悪を示します。
ルター派諸侯をけしかけて、ミュンツァー率いる農民達を鎮圧させたのは、他ならぬルターです。
ルターに先駆けること100年前にボヘミアで宗教改革を唱え、フス戦争を引き起こしたヤン・フスについても、異端者と呼んで憚らなかったのが、ルターです。
ルターはカトリック教会をあるべき姿に戻そうとしたのであって、プロテスタントという別の宗派を作ろうという意図は全く持っていなかったように思います。
まして、彼の死後、シュマルカルデン戦争や三十年戦争という宗教戦争が発生するなどは、全く彼の本意ではなかったような気がします。
昼食はブロイハウスを見つけたので、そこで取りました。
そして、ベルリン経由で帰宅しました。