******ゲーテの街******
私がワイマールの街に着いたのは日が暮れてからのことです。
köstrinzerという黒ビールのブロイハウス(ビール醸造所レストラン)を見つけたので、
そこに入りました。
いくつか種類がある中で、黒ビールが選択肢に含まれるというのは、ちらほら見かけますが、黒ビール専門のブロイハウスというのは珍しい。
私は知らなかったのですが、テューリンゲン地方は黒ビールで有名だとか。
そして、ワイマールで黒ビールと言えば、この店が一番にあがります。
知らずして、ワイマールの名物ブロイハウスへ入っていたわけです。
黒ビールらしいコクがあり、私は結構好きですが、まあいわゆるザ・黒ビールですので、黒ビールが苦手な人には厳しいかもしれません。
料理とよくあいました。料理も悪くなかったです。
さて、ワイマールという小さな街は、意外と名前をよく知られています。
多くの日本人がこの名前から連想するのは、なんといってもワイマール憲法でしょう。
1919年ドイツは第一次世界大戦に敗れ、帝政が倒れます。
そして、成立した共和国が定め、世界一民主的と称えられた憲法こそ、有名なワイマール憲法です。
ここワイマールで採択されたため、その名があります。
現在、ゲーテとシラーという二人の偉大な作家の像が建つ国民劇場がその舞台です。
しかし、世界一民主的な憲法は、政治の不安定を招き、世界一非民主的なナチの台頭を許すことになったというのは、
どうにも歴史の皮肉としかいいようがありません。
さて、私がワイマールへ来た目的は、その国民劇場ではなく、その前に立っているゲーテです。
このドイツを代表する作家は、その生涯の大半をこのワイマールで過ごしており、その家が公開されているのです。
ところで、どうでもいいことかもしれませんが、ゲーテと発音すると全く通じません。
ゴエテというと理解してくれます。何がどうなって、ゲーテと日本語で呼び習わされるようになったのか不思議です。
ゲーテは視覚の人であったらしく、何事も自分の目で見なければ気が済まなかったといいます。
多大なる収集品に、旅行の数々というのは、そういうゲーテの気性によるものだったとか。
ゲーテと言えば、多くの恋愛遍歴をもつことでも知られていますが、女性についてもその好奇心から、多くの女性と関係をもったのでは
ないとかと勘ぐってしまいました。
何せ、彼が恋愛をしたのは、いろんなタイプの女性がいて、そこに一つの嗜好を見つけるのは困難で、
そう思うと、この家にある収集品と同じようなものではないかと、つい思ってしまいました。
そうした収集品が山と飾られた部屋は私などにはうるさいと感じるのですが、それに比べて、彼の仕事部屋はいたって質素です。
さすがのゲーテも、仕事をする上では、そうした収集品のうるささを感じていたということでしょう。
ところで、ゲーテの肖像画を見ると、特別ハンサムとはみえないのですが、これは男の僻みというものでしょうか。
ただ、ハンサムに見えなくても、女たらしにはみえるから不思議です(笑)。
かつてナポレオンがゲーテに会ったときに、これぞ人だと思ったと言われますが、それほどの威厳はこの肖像画からは特に感じませんでした。
が、人間として非常に魅力があったのは確かなようで、ワイマール大公カール・アウグストなどは、彼に心酔し、兄のように慕ったと
言われています。
慕うあまり、宰相の座を彼に用意したというのは、一介の作家に対し、過分な待遇といっていいでしょう。
思えば、このワイマール大公国は小国とはいえ、かつてはザクセン選帝候を歴任した名家エルンスト・ヴェッティン家が治める公国。
その誇りが、ドイツ人としての誇りを濃厚にもつゲーテを引き寄せたといえるかもしれません。
ドイツ人としての誇りに目覚め、恋愛に生き、それでいて一国の君主に兄事されるほど敬愛されたゲーテ。
既にその人生が、見事な一つの作品のようではないですか。
が、私は、ゲーテよりも、ゲーテに兄事したカール・アウグスト大公に微笑ましさを感じてしまいますが。
さて、ゲーテの生家とワイマール城を見て、次に向かったのが市教会です。
ここにクラーナハの祭壇画があります。
私は、画家としてのクラーナハをあまり知らず、ルターの肖像画を描いた人物として記憶しています。
そのため、残念ながら感銘を受けることなく、教会をあとにしました。
どうにも、芸術センスがないと、こういう絵を見る際に残念な気持ちになりますね。
ところで、ワイマールの街は実に素敵です。
小さいながら、趣のある建物がまとまっていて、散策が楽しい。
今回は約半日ほどしか観光に費やしていないですが、郊外の公園なども素敵でもう少し長く滞在しても面白かったように思います。
ゲーテがこの街で人生の大半を過ごしたわけが、少しだけ分かったような気がしました。