ローテンブルク(2014年11月8、9日)
******美しき中世の町******
ローテンブルク。 既にその音の響きがロマンチックです。 ノイシュヴァンシュタイン城と並ぶドイツ観光のハイライト。 ロマンチック街道はこの町のためにあるといっても過言ではないでしょう。

私はドイツに来る以前からこの町にある種の憧れをもっていたことを白状しておかなければなりません。 我が第2の故郷ともいうべき福岡の空港に、このローテンブルクの写真があり、その美しさに惹かれていたのです。

ローテンブルク この町を訪れるのに4ヶ月かかったというのは少々お預けがすぎたかもしれません。 いずれにせよ、逸る気持ちを抑えながらハンドルを握り、ロマンチック街道を南下。 ふと、目の前の視界が開けたかと思うと、丘の上に憧れの町が姿を現したのです。

私はこの感動を表現する言葉をもちませんが、カメラ小僧としては写真あるのみです。 車を脇に停めて、パシャリ。 私の感動に比して不満の残る写真ですが、私の腕では仕方がありません。

さて、丘の上に突然中世の町が姿を現す、というこの劇的な演出は、私が旧道を通ったが故に 見ることができた景色といえるでしょう。 ローテンブルクの前にヴァイカースハイムというロマンチック街道沿いの小さな町に 寄ったのですが、そのおかげで車のナビが旧道を選択してくれたのです。

ローテンブルクの夜 そうでなければ、アウトバーンを案内したに違いなく、面白くもなんともないドライブに なっていたに違いありません。 旅は道草、ですね

さて、シュピタール門から伸びる通り沿いに車を置いて、ホテルにチェックイン。 ホテルでしばらくゆっくりすると、夜の帳が降りて、町はさらにロマンチックな雰囲気に変わりました。

このままホテルでゆっくりするなんて愚の骨頂です。 夜のローテンブルク散策に出かけました。 ただでさえ美しい中世の町並みですから、夜の美しさは実に素晴らしい。

バウマイスターハウス さて、散策にも少し疲れてきたところで、適当に目に留まったレストランへ。 しばらくすると、日本人の団体客が入ってきました。 認識していなかったのですが、どうやら有名レストランに入っていたようでした。

あとで調べれば、Baumeisterhaus(バウマイスターハウス)という地球の歩き方 にも載っているレストランでした。 値段は意外にリーズナブルで美味しかったです。 そういえば、ここもそうですが、かなり多くの店に日本語メニューが置いてあります。 いかに日本人に人気の観光地か、ということでしょう。

ローテンブルクといえばフランケンワインです。 ドイツといえばビールのイメージですが、白ワインはなかなかいけます。 フランケンワインはまさにその代表格。 それと一緒にディナーを楽しみました。

******ローテンブルクの童子******
ローテンブルクは山あいの中世の町。 とくれば、朝の散歩が楽しいと相場が決まっています。

朝の渓谷 特にこの町でお勧めと聞いていたのが、西側の渓谷沿いの散歩道。 コボルツェラー門を出てブルク門まで、タウバー川の渓谷を眺めながら散策できます。 朝は、やや霞がかって、ますます中世の気分です。

この朝の散歩道は非常にお勧めですね。

さて、ブルク門から再び町の中に入るわけですが、入ったところにあるブルク公園は 元々城があった場所。 そう思って、城門から周りを見渡すと、周りは断崖絶壁、そのうえ3方を川に囲まれ、 確かに最も堅固な立地といえそうです。

ブルク公園 さて、この城を居城とした人物は、中世ドイツ最大の有名人の一人といっていいでしょう。 中世ドイツ騎士の華と謳われたフリードリヒ・バルバロッサその人です。

神聖ローマ皇帝として、イタリア征服に情熱を燃やし、騎士の鑑たらんと第3次十字軍を率いたものの、 その途上の小アジアで非業の死を遂げた人物。

そして、ドイツに危機が訪れたら、鷲が彼の棺の上を舞い、祖国を救うために再び蘇ると伝えられています。 まさに中世そのものといっていいでしょう。

彼は少年時代をここローテンブルクで過ごし、ローテンブルクの童子と呼ばれました。 中世騎士の代名詞というべきバルバロッサの生涯に思いを馳せるのに、ここローテンブルクほど相応しいところはないでしょう。

真のローマ皇帝たらんと目指したバルバロッサ、私にはどこかドン・キホーテを連想させます。

******リーメンシュナイダー******
リーメンシュナイダーの最後の晩餐 さて、ローテンブルクで必見の場所があります。 この町の教会にある最後の晩餐の彫刻です。

この地方が誇る天才彫刻家リーメンシュナイダーの手による作品のなかでも、特に傑作と名高い作品です。

正面の主祭壇ではなく、後方の階段を上がったところにあるのですが、その迫力たるや、私の期待を遥かに上回るものがありました。 立体的な彫り、そして精巧さ、なにより勢いが素晴らしい。

この天才彫刻家はドイツ農民戦争に加担し、その罪で腕を失ったとか言われています。 この地方を中心に多くの作品が残されていますが、そのことがなければさらに多くの作品が生まれたに違いなく、惜しまれてなりません。

ところで、ローテンブルクの魅力は町そのものといっていいでしょう。 町の一角が、中世の雰囲気を残している、というのはドイツではよく見かけますが、町全体が中世の雰囲気を残しているというのは、私はローテンブルク以外に知りません。

ローテンブルクの街並み ローテンブルクは日本人をターゲットにマーケティングされた町なんだよ、町中日本人だらけだぜ、とドイツ人の同僚に言われましたが、たとえ戦略に嵌まっていようと、素晴らしいものは素晴らしい。

また、確かに日本人比率が高かったですが、他の国の人も多く、日本人しかいない、なんてことはなかったです。

ただ、日本語メニューの多さ、道路標識に、ロマンティック街道と日本語で書いてあるのを見ると、日本人がターゲットになっているのを感じなくはありません。

******マイスタートルンクの伝説******
さて、ローテンブルクには有名な伝説があります。 マイスタートルンク(Meistertrunk)の伝説です。

マイスタートルンクの仕掛け時計 三十年戦争の折、この町は皇帝軍に攻められます。 率いるは皇帝軍きっての名将テイリー伯。

頑強な抵抗がテイリー伯の怒りを買い、町の幹部は皆殺しと決定。 この危機に登場するのが、フランケンワインです。

この町の名産品を将軍に献じ、機嫌がよくなったところで、市長が一つの提案をします。

この町には選帝候のグラスという、3リットルほどもある大きなグラスがあり、それになみなみと注いだフランケンワインを一気飲みしたら、許してもらえないか?と。

市庁舎からの眺め これに見事成功した市長によって、町は救われます。 マイスタートルンク、すなわち、一気飲みの達人、の伝説です。

市庁舎前の仕掛け時計がこの伝説を再現しています。 大した動きはしないですが、その伝説を思い浮かべながら見るとなかなか面白いです。

さて、ローテンブルクでの最後は市庁舎に登って、町を上から眺めました。 上から眺めて思いましたが、この町は上から眺めるより、やっぱり地に足をつけて散策するのがいいですね。

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