******フリードリヒロココ様式のサンスーシ宮殿******
日本人が
ポツダムと聞くと必ず連想するのが
ポツダム宣言でしょう。
それほど有名な宣言ですが、その名前の由来がベルリン近郊の小さな町の名前だと知る人は少ないでしょう。
ドイツが降伏し、このポツダムで戦後処理について話し合われたのが、いわゆるポツダム会談。
そこで日本へ無条件降伏を求める最後通牒として出されました。
ドイツ降伏直後の会談ですので、ベルリン近郊の町で行われたのは、ごく自然なことですね。
その会談が行われたツェツィーリエンホーフ宮殿もポツダム観光の見どころの一つですが、
今回は時間がなかったので残念ながらパス。
最大の見どころであるサンスーシ宮殿が今回の旅の目的です。
が、その前に寄るべきところがあります。
ブランデンブルク門です。
ブランデンブルク門といえば、ベルリンが有名ですが、実はポツダムのほうが歴史が古い。
ベルリンのブランデンブルク門が市外への門として建てられたのに対し、ポツダムのブランデンブルク門のほうは
凱旋門として建てられています。
プロイセンの英雄フリードリヒ大王がマリア・テレジア率いるオーストリアに勝利した
際に、その記念として建てられました。
そう思ってみると、確かに誇らしげに立っています。
このブランデンブルク門を建てたフリードリヒ大王が建てたもう一つの観光名所にして、ドイツ観光のハイライトの一つが
今回の目的地サンスーシ宮殿です。
ポツダムはフリードリヒ大王の町といっていいです。
ここで少しフリードリヒ大王について触れておきましょう。
彼はプロイセンが王国になって3代目の王で、父は兵隊王とあだ名されたフリードリヒ・ヴィルヘルム1世です。
兵隊王は隣国ザクセンの竜騎兵欲しさに、秘蔵の陶磁器コレクションを手放したほどの軍隊キチガイ。
それに対して、音楽や文学を好んだフリードリヒ大王は青年期に父王とよく対立したといわれています。
父王に軍事的才能なしと烙印を押されたフリードリヒ大王でしたが、実は軍事の天才でした。
当時、フランスと欧州を二分する勢力を築いていたオーストリアに戦争を仕掛け、勝利。
この敗戦に危機感を抱いたオーストリアのマリア・テレジアは、宿敵フランスと同盟するため
娘のマリー・アントワネットをフランスへ嫁がせることになるのです。
大国オーストリアに外交の大転換を迫るほどの軍事的天才でありながら、文化的にも優れていたというバランスの良さが、この大王の魅力です。
サンスーシ宮殿にある中国茶屋は、その一つの象徴でしょう。
磁器にも造詣の深かった大王は、そのコレクションも充実していたと言われています。
そのコレクションを見ることができるのが、この中国茶屋だったのですが、この日は閉館でした。
楽しみにしていただけに、少し残念でした。
ちなみにベルリン王立磁器製陶所KPMを創立したのも、フリードリヒ大王です。
その大王の芸術的センスの粋が詰まっているのが、サンスーシ宮殿でしょう。
部屋数12のこじんまりした宮殿で、ただ大きく豪華にしなかったところに、フリードリヒ大王のセンスの良さを感じます。
例えば、バイエルンのルートヴィヒ2世が建てたノイシュヴァンシュタイン城などは、彼の狂気がそのまま建物に現れていますが、ここサンスーシ宮殿は大王のバランス感覚の良さが現れているように思います。
この独特のセンスにあふれた建築様式には名前がついていて、その名もフリードリヒ・ロココ。
自然を愛する大王は、装飾に蔦や、鳥、リスなどを取り入れました。
これが絶妙な美しさ。
良識的センスの良さが光っていて、世界の宮殿の中で最も好きな宮殿の一つです。
さて、最後にフリードリヒ大王のエピソードをもう一つ紹介しておきましょう。
ドイツの国民食というべきジャガイモ。
それを広めたのが、実はフリードリヒ大王なのです。
寒冷地のドイツに適したジャガイモを広めるため、ジャガイモ畑に物々しい警備をつけて、貴重で美味な食べ物だと民衆に思わせたという話が伝わります。
ジャーマンポテトは、フリードリヒ大王がいたからこそ、生まれたわけです。