******ホーエンシュヴァンガウ城******
普通ならドイツに来て真っ先に訪れるであろう
ノイシュヴァンシュタイン城へやってきたのは、ドイツへ来て9ヶ月半が経過した5月の初め。
もちろん理由はあって、ここは嫁さんと訪問すると決めていたからに他ありません。
ハネムーンの人気旅行先に、一人で訪れる手はないでしょう。
嫁さんのドイツ訪問を待って、満を持してのノイシュヴァンシュタイン城観光です。
前日の宿泊先に城に最も近い町であるフュッセンを選ばず、オーバーアマガウに宿泊したのが裏目に出たというべきでしょうか。
到着したときには、チケット売り場は長蛇の列。
ドイツ最大の人気観光地を甘くみていました。
日本語ツアーもあるようでしたが、時間を優先して英語ツアーを選択。それでも、ツアー開始まで一時間以上は待ったように思います。
このガイドの英語が非常に美しいクイーンイングリッシュ。
すっかりドイツなまりの英語に慣れてしまっていた私の耳にはこれがつらかった。
せめて、アメリカンならもう少し聞けたと思うのですが、、、ドイツで英語の修行不足を思い知らされた瞬間でした。
さて、話が先走ってしまいましたが、ここにあるのはノイシュヴァンシュタイン城だけではありません。
ホーエンシュヴァンガウ城というお城が隣にあります。
ノイシュヴァンシュタイン城は日本語にすると「新白鳥城」、それに対してホーエンシュヴァンガウ城はいわば「白鳥城」。
ノイシュヴァンシュタイン城に「新」とついているのは、ホーエンシュヴァンガウ城があるからなのです。
今ある城に改築したのは、バイエルン王マクシミリアン2世。
ノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世の父王です。
当時流行りの中世懐古主義を色濃く反映しています。
中世ドイツの歴史や伝説が、絵画に描かれています。
中世騎士道のロマンが描かれていると言い換えてもいいでしょう。
ロマンチストのルートヴィヒ2世が生み出された素地がここにあると言っていいでしょう。
単純にお城としても面白く、隠し扉があって、その向こうに秘密の階段があるといった説明を聞くと、なにやらワクワクします。
秘密の階段だの、隠し扉だの、というのは、男の冒険心をくすぐりますね(笑)
また、タッソの間という部屋はルートヴィヒ2世の寝室で、ここはルートヴィヒ2世の工夫が凝らされています。
自らを「月の王」としたルートヴィヒ2世は、夜を好み、天井には美しい星空が描かれるという徹底ぶり。
この辺りに、狂王と呼ばれたルートヴィヒ2世の狂わしいばかりの拘りの片鱗を見ることができます。
私の個人的見解をいえば、やはりノイシュヴァンシュタイン城だけでなく、シュヴァンガウ城も合わせて見てこそ、ルートヴィヒ2世の世界をより理解できるように思います。
さて、ホーエンシュヴァンガウ城の見学の次はいよいよノイシュヴァンシュタイン城の見学です。
シンデレラ城のモデルとされ、中世の雰囲気を存分に漂わせているこの城の着工は、実は1869年。
ルートヴィヒ2世が中世に憧れて、建てさせたコンクリート作りの近代の城なのです。
見学していると、居間の隣に突然洞窟が現れて、ど肝を抜かれました。
ワーグナーに傾倒していたルートヴィヒ2世は、城内になんとオペラの一場面であるヴィーナスの洞窟を作ってしまったのです。
が、結局それに満足できなかったのか、それより遥かに大規模な洞窟を別の場所に作り、そこを訪れるための拠点として、リンダーホーフ城を建設することになるわけです。
ちなみに、ここノイシュヴァンシュタイン城の洞窟はなんと玉座に優先して作られました。
おかげで、玉座があるはずの広間には未だに玉座がありません。
さて、ノイシュヴァンシュタイン城の最大の見所といえば、何といっても歌合戦の間でしょう。
この部屋は、中世ドイツの中心であったヴァルトブルク城にある歌合戦の間のコピーですが、オリジナルより遥かに豪華です。
ヴァルトブルク城の歌合戦の間は、ワーグナーの代表作のオペラであるタンホイザーの場面に登場します。
先ほどの洞窟も同じくタンホイザーの一場面。
ルートヴィヒ2世が、どれほどタンホイザーにはまっていたかよく分かります。
私はドレスデンでタンホイザーのオペラを見ました。
愛欲の世界に溺れて、愛しい妻を失う、どうしようもない男の物語です。
正直なところ、この物語のどこに惹かれたのか全く分からないのですが、中世に憧れる王の琴線に触れるものがあったのでしょう。
ところで、私はオリジナルのヴァルトブルク城の歌合戦の間も見ましたので、王がどれほど忠実に再現しながらも、豪華に仕上げてみせた、王の芸術的センスを感じたように思いました。
可能なら、オリジナルも合わせて見学することをお勧めします。
ノイシュヴァンシュタイン城からは遠いですが。。。
さて、歌合戦の間でツアーは終了します。見学の最後、展望台があって、そこから先に訪れたホーエンシュヴァンガウ城を見ることができます。
ところで、このノイシュヴァンシュタイン城、防衛のためでも、政治のためでもなく、ただルートヴィヒ2世の趣味で建てられた城です。
いや、むしろ作品というべきでしょうか。
故に、ルートヴィヒ2世は、自分が死んだら城を壊すように指示していたと言われます。
自分だけのための作品たるノイシュヴァンシュタイン城が他人に汚されることに耐えられなかったのでしょう。
しかし、国家財政を傾けるほど、城づくりに熱中したために、家臣によって監禁され、ついには不信な死を遂げてしまいます。
すると、すぐにバイエルン王国はノイシュヴァンシュタイン城を一般公開し、観光資源にして、お金稼ぎを始めたとか。
城は破壊されるどころか、多くの人が訪れる観光地と化してしまったのです。
ルートヴィヒ2世がもっとも望まなかった結末といっていいでしょう。
さて、ノイシュヴァンシュタイン城の写真でよく知られたものは、マリエン橋から撮ったものです。
このマリエン橋に来ると、なんと妻の足がすくんて動きません。
以前、祖谷のかずら橋に行って以来、どうも吊り橋が苦手になってしまったようです。
どうにかこうにか橋の中央まで行って、写真をパシャリ。
妻には申し訳なかったですが、やっぱりこのアングルの写真を撮らないわけにはいかないです。