******マイセン磁器の里******
妻を是非連れていきたいと思っていた町の一つが
マイセンです。
いうまでもなく、マイセン磁器の産地です。
マイセン磁器製作所で、マイセン磁器の製作工程を見学することができます。
マイセン磁器といえば、なんといってもブルーオニオンの絵柄が有名です。
この絵柄、磁器の本家本元の中国の絵柄をコピーしたものなのですが、実は玉ねぎではなく、ザクロ。
当時の欧州にザクロがなかったために、玉ねぎと勘違いされたようです。
ところで、元々磁器の絵付けは青が基本でした。
高温で焼くので、高温に強い顔料しか使用できず、磁器の場合は青色を出す酸化コバルトくらいしか選択肢がなかったのです。
それが二度焼成し、二度目はやや低温で色を定着させる技術が現れて、赤を初めとするカラフルな絵付けが実現したとか。
有田の柿右衛門の赤絵が有名ですね。
今はもちろんマイセン磁器もカラフルな絵付けをしますが、有名なのはなんといってもブルーオニオン。
このマイセン磁器製作所でも、それを重点的に見せてくれます。
興味深いのは、焼成前後の色の変化です。
実は描かれた直後はくすんだ色で、むしろ黒といったほうが良いような色をしているのですが、それが焼成後には、綺麗な青を発色するとか。
焼成前後の色が比較できるように展示してあり、私にはこれが興味深かったです。
製作工程の見学ツアーを終えると、マイセン磁器の名品の展示室へ。
十二支の干支のマイセン磁器があり、興味深く眺めていると、後ろからガイドに連れられたドイツ人の団体がやってきて、どうやら干支の説明をしているらしい様子。
なるほど干支は西洋にはないからなぁ、と思いながら、ツアー客を眺めていると、突然、あなたの○○は何?と聞かれました。
ドイツ語で聞かれたと思うのですが、無防備だったので、言語を認識しないまま、きっと干支を聞かれたのだろうと思い、英語で自分の干支を答えました。
すると、皆自分の干支が分かるのか?とかいろいろ聞かれて、私の答えをツアー客に解説していました。
解説しているのを横目に見ながら、干支を知っているようで、人に説明できるほど知らないことに気がついて、少し反省しました。
今の私は干支よりもマイセン磁器の由来のほうが詳しくなってしまっています(笑)。
そのマイセン磁器の由来を少し書いておきましょう。
マイセン磁器の誕生は、決して大国とはいえないザクセン選帝候国で、ポーランド王も兼ねたアウグスト強王の時代の出来事です。
当時の欧州では磁器が大流行していたものの、磁器を作る技術はなく、日本や中国からの輸入に頼っていました。
ザクセン自慢の竜騎兵を隣国プロイセンの磁器コレクションと交換していまうほど磁器を愛したアウグスト強王は、自国での磁器生産に取り組みます。
その王の執念が実り、欧州初の磁器生産に成功します。
その生産方法は秘中の秘。
そこで発明者ベドガーをマイセンのアルブレヒト城に監禁して、生産にあたらせます。
哀れベドガーは、発狂して酒に溺れ、37才の若さで世を去りました。
ザクセンに続いて、大国フランスが欧州で二番目となる磁器(セーブル磁器)の開発に成功したのは、マイセン磁器の誕生から約90年後。
ベドガーの発明の偉大さを思うとともに、それだけの偉大な発明家に対する仕打ちの酷さに胸を痛めます。
美しいアルブレヒト城を見上げると、ベドガーの不幸を思わずにいられません。