******リューベック市街******
リューベックに行ったというと、渋いと言われます。
私としては、甚だ不本意です。
かつて
ハンザの女王と謳われた美しい港町がどうして渋いのか。
歴史的にも非常に重要な街です。
リューベックを語らずしてドイツは語れない、と私は思っています。
私がドイツで最も行きたかった街の一つです。
最も、白状しておけば、私は港町が好きで、港町と聞くだけで旅情をそそられます。
スペインのセビリアへの憧れも同様でしょうね。
さて、リューベックを渋い街だという主張に対抗するために、美しい町並みの写真の紹介
から始めたいと思います。
ホルシュテン門を少し市街地の方に入ったところにSt. Petrikircheという教会がたっています。
その塔の上から眺める市街地の景色が最高です。
左の写真がその景色です。まさに女王の気品が漂う美しさです。
また、港町だけあって、川沿いの景色がまた素晴らしい。
建物の中に入らなくても、ただ散歩するだけで楽しい街ですね。
リューベックが歴史に登場するのは1159年。
皇帝フリードリヒ・バルバロッサと激しく覇を競ったハインリヒ獅子公がバルト海沿岸に
都市を建設したのが始まりです。
この時期、白い黄金と呼ばれ、非常に価値が高かった
塩を独占しようともくろみ、塩の生産地リューネブルクから塩を運び出す好適地だった
リューベックに都市を建設したわけです。
その後、ハインリヒ獅子公はフリードリヒ・バルバロッサとの争いに敗れ、失脚しますが、彼の遺産リューベックは
交易で大きく花開くことになります。獅子公の狙いは確かだったわけです。
街の中でライオンの像を見かけるのは、獅子公に由来しているのは言うまでもありません。
******マリエン教会******
さて、大きく飛躍したリューベックは、領主の支配を受けない自治都市権を獲得し、バルト海沿岸に次々と衛星都市を
建設していき、ついにはそういったバルト海都市群の盟主として君臨します。
それこそが世に名高いハンザ同盟で、その繁栄の象徴として築かれたのがマリエン教会です。
この街にはいちおう大聖堂があるのですが、それが街の外れに建っているのに対し、マリエン教会は堂々と街の中心にそびえています。
存在感もまるで違います。街の中心は市民だと主張しているようです。
バルト海沿岸の諸都市はこぞってこの教会を真似し、それ故にバルト海沿岸都市には似たような教会がたくさん建っていますが、それも
全てこの教会の模倣というわけです。
忘れてはならないのが、この教会も第二次世界大戦の戦火を浴びたということです。爆撃を受けて落ちたという鐘が、床にめり込んだ形で
そのまま保存されています。
鐘は落ちる直前、自らを弔うように、自ら鐘を鳴らしたと伝えられています。
かつてハンザの女王と呼ばれた街の誇りと魂が、失われゆく街を自ら弔わずにいられなかったのかもしれませんね。
一つの悲劇の物語ですが、しかし何か詩のような美しさを感じさせる物語です。
もう一つ、この教会にまつわる物語があります。
音楽の父バッハの物語です。
彼はリューベックに留学中この教会にあったパイプオルガンの音色に魅せられて、無断で留学を延長。
ここで新しい音楽に目覚めたと言われています。
この教会のパイプオルガンがなければ、近代音楽の誕生はなかったのかもしれません。
ちなみにこのパイプオルガンは世界最大のオルガンの一つに数えられています。
他にもこの教会には、大きな時計が置かれていたり、見所はたっぷりです。
また、この教会以外にも、リューベックには市民のための教会がいくつかあり、いずれも立派なつくりで、見る価値があります。
******ホルシュテン門******

マリエン教会と並ぶリューベックのシンボルが
ホルシュテン門です。
重厚な造りで、片方の壁が3.5mと非常に厚く、それがために門がやや傾いてしまったほどです。
横から見ると傾いているのがよく分かります。
かつて門の入り口はここ一つだったわけで、旅人はその威容に圧倒されたに違いありません。
今は門の前が芝生の広場になっていて、多くの人がごろんと横になってくつろいでいました。
******ディナー******
かつてリューベックの交易の中心は
塩とニシンでした。
塩漬けのニシンで大いに儲けていたリューベックにも衰退のときはやってきます。
新大陸の発見が一つの原因といわれています。
すなわち交易の中心がバルト海から大西洋へと移り、バルト海交易を主軸としていたハンザ同盟に大きな打撃を与えたのです。
さらにもう一つ。ルターの宗教改革です。
私には関連がよく分からないのですが、人々が肉を食べるようになり、ニシンの需要が激減したことが言われています。
ニシンはまさにリューベックと栄華をともにした食べ物なわけです。
というわけで、ディナーは当然ニシン。
先週のケルンで、Matjesがニシンであることを学んでいた私は、迷わずニシンを注文しました。
ケルンでもおいしかったですが、リューベックでも美味!
もはや私のドイツでのお気に入り料理の仲間入りです。
もう一つ、リューベックの歴史と関わりが深いのが、ロートシュポン(Rotspon)という赤ワインです。
リューベックは別にワインの産地ではありません。
それなのに、何故このワインが名物になったかというと、ちょっと面白いエピソードがあります。
これは、交易の帰りに、空になった樽にフランスの安ワインを詰めて帰り、しばらく倉庫で寝かした後に飲んでみたら、
驚くほど美味だったということで、リューベック名物のワインになったものです。
何のことはなく、元はフランスワインなのです。
このエピソード、注文する前から知っていたのですが、このワインを注文すると、レストランのウェイターさんが誇らしげに説明してくれました。
リューベック栄光の時代の名残で、これを飲むと栄光の時代へ思いを馳せることができるのかもしれません。
肝心の味は、、まあさほどではなかったですが。