******ヴュルテンベルク王国・華の宮殿******
クリスマスマーケットにシュトゥットガルトを訪れていながら、再びシュトゥットガルトを訪れたことには理由があります。
一つがメルセデス・ベンツ博物館、もう一つが
ルートヴィヒスブルクです。
ヴュルテンベルク王国というドイツに5つあった王国の一つが、ここに宮殿を建てているのです。
それもかのベルサイユ宮殿を模したとか。
これは見ないわけにはいかないでしょう。
実を言うとこの宮殿の所在地はシュトゥットガルト市内ではなく、その名もルートヴィヒスブルクという別の街になります。
といっても、シュトゥットガルト中央駅からわずか15分という近さです。
むしろ駅から城までの徒歩のほうが時間がかかるくらいです。
さて、ヴュルテンベルク王国は日本で最も名が知られていない王国といっていいと思いますが、この地方の有力諸侯でした。
そもそも、かつてこの地方を治めたシュヴァーベン大公は歴代神聖ローマ皇帝を輩出したほどの帝国最大の名門。
その名門ホーエンシュタウフェン家が断絶した際にシュヴァーベン大公も消滅し、その代わりに頭角を現したのが、
ヴュルテンベルク家だったというわけです。
旧大公領は分割されたので、かつてのシュヴァーベン大公ほどの威勢は張れなかったものの、徐々に勢力を伸ばしていったようです。
西にフランス、南にオーストリア、東にバイエルン、北にプファルツという大国に囲まれていながら、勢力を伸ばし続けた
その生命力は感嘆に値します。
小国が生き残るためには、変幻自在の外交が必要だったようで、ナポレオンが現れるといち早く味方することで王号を獲得し、
ナポレオンが劣勢になると、即座に反旗を翻すということをやっています。
これだけ聞くと信義のない国のようですが、この国は革命を恐れ、その予防のためには国民を富ますことが必要と考えて、
職業学校を設立して、国民を職業訓練するという画期的なことをやっています。
女性のための職業学校すら作ったというので、相当に先進的です。
これが日本の明治維新が始まった頃というので、驚きです。
ともあれ、そういう小国が、いわば背伸びして建てた宮殿がここルートヴィヒスブルク城です。
まだ王号を手にする前のことです。
残念ながら中は撮影禁止。
私が過去見た中で最も豪華だったのはウィーンのシェーンブルン宮殿ですが、当然といえば当然のことながら、
それほどではありません。
とはいえ、そのあたりの地方領主の宮殿や城に比べれば十分に立派には違いありません。
面白かったのは劇場で、風の音を出すための器具、雨の音を立てる器具、など、ユニークな工夫がなされていて、
これを作った君主の演劇に対する拘りが伺えました。
本当は街も素敵なようなのですが、観光する時間的余裕がなく、宮殿ツアーを終えると、慌てて駅に向かいました。