ハイデルベルク(2015年1月4日)
******ハイデルベルク******
ハイデルベルクと聞くだけで旅情を誘われる気がするのは、私だけではないでしょう。

ハイデルベルクの音が既に格調高い詩を思わせ、ドイツでもっとも古い大学街だと思えば、酒場で政治や文学を論じる学生達の喧騒が聞こえてくるようです。

ハイデルベルクの街並み そのハイデルベルクには2泊しながら、観光はホーエンツォレルン城などの別の都市にほとんどを費やし、この魅力溢れる都市の観光はただ一日だけという予定にしていました。

が、そのハイデルベルク観光を予定していた日の朝、妻の様子がおかしい。 前日のホーエンツォレルン城の寒さが響いたのか風邪をひいてしまったのです。

ホテルの受付で聞くと、チェックアウトは12時まで大丈夫だというので、とりあえず寝かせました。

さらに親切にも薬をもらえたので、それも飲ませて、とにかく安静に。 ちなみにこの親切なホテルはHotel Elite Heidelberg (ホテルエリーテハイデルベルク) です。 このホテルが親切で本当に助かりました。

ハイデルベルク城 昼前になると、妻も少し元気を取り戻し、観光をしたいというので、半信半疑ながら、観光を始めることに。

真っ先に向かったのがハイデルベルク城です。

ノイシュヴァンシュタイン城、ホーエンツォレルン城とともにドイツ三大名城に数えられたりするハイデルベルク城ですが、実は城は廃墟

近くでみると、三大名城に数えることに異を唱えたくなりますが、この城の真骨頂は街から見た姿で、特にネッカー川を挟んで仰ぎ見る姿は、まさに名城と呼ぶに相応しい佇まいです。

一方で近くで見る姿は、遺跡を見るようで、それはそれで楽しいものがあります。

時期外れのクリスマスマーケット 二つの顔を楽しめて、一度で二度美味しい、という意味ではやはり名城というべきかもしれません(笑)

さて、城から街へ下りていくと、クリスマスマーケットの屋台のようなものを発見しました。

当然、クリスマスマーケットの時期は過ぎていますが、一部の屋台だけは引き続き営業しているのかもしれません。 せっかくなので、ここでクリスマスマーケット名物マッシュルームを頂きました。

哲学者の道 続いて向かったのが、ハイデルベルク最大の観光名所、哲学者の道です。

京都の哲学の道とは違って、結構な坂道を登っていくことになります。

途中には新年を祝う打ち上げ花火の残骸がそこかしこに転がっていました。

ドイツではそこら中で打ち上げ花火を上げて新年を祝うのですが、まさかこんなところにもあるとは思いませんでした。

哲学とは静かに思索に耽るというのが私のイメージなので、こんなに不釣り合いなものはないでしょう。

賑やかに祝うのもいいですが、もう少し場所をわきまえてほしいものです。

哲学者の道から見たハイデルベルク城 さて、この哲学者の道のハイライトはネッカー川越しに見るハイデルベルク城の美しさでしょう。

ここから見た風景こそ、ハイデルベルクを代表する風景で、これを見ないことにはハイデルベルクを見たとはいえない、といっても過言ではありません。

ただ登りきるまでの坂が予想以上に急坂で、これが妻の風邪をこじらせてしまったようにも思われ、私としては反省です。

さて、ハイデルベルクといえば、ドイツ初の大学が創設された街です。 神聖ローマ帝国内でもプラハに次ぐ早さです。 1386年の創立なので、なんと630年ほども前のことなので驚きです。

大学は文化の象徴というべきで、当時ハイデルベルクを本拠にしていたヴィッテルスバッハ家、後のバイエルン王家の誇りがここに垣間見える気がします。

この家は帝位を争うほどの名家で、ライバルのルクセンブルク家がプラハに大学を建設したことに対する対抗意識の現れでしょう。

カール・テオドール橋 我がハイデルベルクこそ文化の先進都市だというわけです。 以後、1720年に首都がマンハイムに移るまで、文化の先進地であり続けたわけです。

第二次世界大戦を戦ったアメリカもこの街の文化的重要性を認識して、攻撃を控えたと言われているほどです。

さて、哲学者の道を下りたところにあるカール・テオドール橋もまたハイデルベルクを代表する景観の一つです。

が、このときは川の水かさが増しており、川岸に土嚢が積まれていたのが残念でした。

一部では道路に水が侵入しており、この川は時折こうなるのだとすれば、景観を優先して治水工事をしていないのでしょうが、少々驚きです。

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