******世界遺産の鉱山******
木組みの町ツアーも最後の町、
ゴスラーへ。
この町も世界遺産です。但し、世界遺産の旧市街と合わせて世界遺産に登録されているランメルスベルク鉱山にこそ、この町の魅力があるといっていいでしょう。
というわけで、何よりもまずこの鉱山へ向かいました。
世界遺産になっているだけあって、その歴史は古く、紀元前3世紀まで遡ります。何より、銀を多く産出し、神聖ローマ皇帝直轄領として、皇帝の資金源を支えました。
閉山は1988年。
壮大な歴史を紡いできた鉱山です。
この鉱山のツアーはいくつもあり、歴史的な鉱山を巡るツアーに、近代的な鉱山を巡るツアー。
両方ともに巡って、ほぼ丸一日かけるなんてツアーもあります。
こんな暗いところをずっと観光するなんて、とんでもないという妻の主張をいれて、歴史的鉱山を二時間ほどで巡るショートツアーに参加することに。
それでも、ヘルメットをかぶせられた妻は終始膨れっ面。
歴史的鉱山を前にした私は気分揚々です(笑)
この鉱山、12世紀に皇帝フリードリヒ・バルバロッサとハインリヒ獅子公の抗争の舞台になっています。
皇帝フリードリヒ・バルバロッサが、ハインリヒ獅子公にイタリア遠征の援軍を頼んだところ、ハインリヒ獅子公は引き換えにこのゴスラーのランメルスベルク鉱山を要求。
皇帝フリードリヒ・バルバロッサは、さすがにそれは飲めずに断ったために援軍を得られず、イタリアで惨敗。
それを恨んだフリードリヒ・バルバロッサはハインリヒ獅子公を追い落とすことになるわけです。
別の説には、ハインリヒ獅子公が望むランメルスベルク鉱山を譲ることを決めたものの、ハインリヒ獅子公はそれでも援軍を拒否したとも言われます。
いずれにせよ、それくらい重要な鉱山だったといえるでしょう。
特にハインリヒ獅子公は、交易路の要衝であった都市を建設し、リューベックやミュンヘンといった後に大きく発展する礎を築いたほど経済感覚に優れた君主です。
その君主が目を付けた鉱山の価値のほども知れようというものです。
さて、この鉱山の原動力は水車です。
その働きを今も見ることができます。
この水車が、産業革命もない昔から、大型鉱山として、帝国経済を支えてきたわけです。
凄いとしかいいようがありませんね。
中では、明かりを消して、明かりがないとどれほど暗いかを見せてくれます。
妻がお約束通り怖がってくれることも、夫としてはちょっと嬉しいですね(笑)
ところで、ゴスラーにはカイザープファルツ(皇帝居城)という宮殿があります。
これを建てたのは黒王ハインリヒ3世で、おそらくは最も皇帝権力が強かった皇帝といっていいでしょう。
オットー大帝の約70年後に登場する皇帝で、上記フリードリヒ・バルバロッサの約80年前の皇帝でもあります。
彼の息子がカノッサの屈辱を味わうハインリヒ4世です。
最も皇帝権力の強かった皇帝のくせに、上記3人に知名度で及ばないのは、不思議です。
彼が建てた皇帝居城の地味さに、その原因があるのでは、と思ってしまいます。
皇帝居城の中には絵画が掛けられており、その絵画の主人公もフリードリヒ・バルバロッサ。
帝国に危機が訪れると、カラスが頭上を舞い、蘇るという伝説が描かれていました。
黒王ハインリヒ3世、立つ瀬なし、です。
さて、皇帝居城を去って、次に向かったのは旧市街最大の見所、マルクト広場です。
ここには仕掛け時計があって、雨の中、人が集まっていました。
仕掛け時計ではランメルスベルク鉱山で働く人の様子が描き出されています。
個人的には、まあそんなに感動するものではありませんでした。
まあ、いたって普通です(失礼)。
ところで、このマルクト広場に、有名な像があります。
金を産む小人の像です。
ゴスラーの人々があまりにも儲かるので、夜中に小人たちがお金を産んでいるという伝説がうまれたとか。
が、小人がお金を産むと聞くと、メルヘンな気がしますが、実際の像はメルヘンとはほど遠いです。
なんとお尻から金貨を出しています!
お下品なことこの上ない。。。
どうして、こうなるのやら、不思議な伝説です。
さて、このゴスラーも木組みの家の町なのですが、その中に世界的大企業の創業者一族の家があります。
その世界的大企業こそシーメンスです。
その家の名前も、シーメンスハウス。
ゴスラーで一番大きな家らしいです。
車よりも、電気のほうが興味がある私は、むやみと大はしゃぎをしてしまいました。
別に創設者が生まれた家でもなく、創設者の祖先が住んでた家に過ぎないのですが、、、つい拝みたくなってしまいます。
我がビジネスにも恩恵あれ!(笑)