******デンマーク国境の町******
お祭り騒ぎのキールを後にして、向かったのが、ドイツ最北の町
フレンスブルクです
デンマーク国境の町として知られています。
北欧のデンマークは消費税が高いのですが、国境を越えてドイツへやってくると、消費税は比較的安い。
今はEU内を自由に行き来できるわけですから、デンマーク人は国境の町フレンスブルクへ押し寄せて買い物をするらしいです。
フレンスブルク近くに住むデンマーク人は、安く税金を納めながら、福祉は充実したデンマークから享受する、わけで、どうもEUという仕組みの矛盾を、感じます。
ところで、フレンスブルクは歴史的にはデンマークのほうが繋がりが深いです。
フレンスブルクが属していたシュレースヴィヒ公国はデンマーク王が長く君主を兼ねていたのですが、住民はドイツ系が多かったために、話がややこしくなります。
フランス革命はヨーロッパ中に民族意識とナショナリズムの高まりをもたらし、このシュレースヴィヒ公国でもデンマーク派とドイツ派の対立がデンマークとプロイセンによる戦争を引き起こします。
シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争です。
第一次戦争はデンマークが勝利しますが、第二次戦争は、鉄血宰相ビスマルクの登場で流れが変わります。
鉄血演説のために、ビスマルクには軍備偏重のイメージがつきまといますが、その真骨頂は天才的な外交手腕にあります。
このときも開戦前にデンマークを孤立に追い込み、プロイセンにはオーストリアの同盟を取り付け、開戦前には必勝の態勢が出来上がっていました。
その後、オーストリアを孤立させてオーストリアを撃破、フランスを孤立させ、フランスを撃破。
プロイセンは列強の仲間入りを果たすわけです。
話が逸れてしまいましたが、いずれにせよ戦争の結果、フレンスブルクはプロイセンに所属することになります。
が、その後、第一次世界大戦でドイツは敗北。
フレンスブルクを含むシュレースヴィヒの帰属は住民投票に委ねられることになります。
結果的に北部シュレースヴィヒはデンマークに、南部シュレースヴィヒはドイツに帰属することが決まりました。
その境界線がちょうどフレンスブルクの北になったわけです。
ところで、遙々この国境の街にやってきたのは、国境線をみたかったわけではなく、グリュックスブルク城という可愛らしいお城が目的でした。
バスでも行けるのですが、帰りにブレーメン観光をしたいという欲張りなプランのために、時間を節約する必要があり、私には珍しくリッチにタクシーを使いました。
タクシーには、駐車場で待っていてもらい、写真だけ撮って引き返しました。
天気もよく、カラフルな可愛いお城が水面に映え、満足して引き上げました。