******ドイツ最大の強制収容所******
ナチが犯した罪のうち、その最大のものが
ホロコーストであるということは、論を待たないでしょう。
ポーランドにあるアウシュヴィッツが最も知られていますが、ドイツにも強制収容所はありました。
その中で、ミュンヘン郊外の街ダッハウが最もよく知られています。
翌週にアウシュヴィッツを訪問する予定だった私はその前にドイツの強制収容所跡も見ておきたく、このダッハウを訪れました。
ミュンヘンから電車とバスを乗り継いで、一時間ちょっとで到着したように思います。
バス停から門へ向かっていくと、僅かに残る線路とプラットフォームらしきものが見えます。
ナチスは効率よく人を送り込むために、鉄道を敷き、ここに次々と犠牲者を送り込んできたわけです。
ここに降り立った人は自らの運命を知っていたのか、知らなかったのか。
収容所の屋根には、Arbeiten macht frei (働けば自由になる) という有名な言葉が書かれていたとか。
ここに入った人が出ることはなかったことを思えば、この言葉ほど質の悪いものはないでしょう。
収容所跡には、二度と過ちを繰り返さないために、平和のモニュメントが置かれていました。
何やら、心の叫びが聞こえてきそうな作品です。
ドイツの強制収容所跡はドイツ語の展示のみのところも多いらしいですが、ここは英語もあって、非常に充実していました。
パネル展示に関してはアウシュヴィッツよりも充実していたような気がするくらいです。
ダッハウ強制収容所は最も初期に作られた強制収容所の一つで、その後建てられた強制収容所はダッハウをモデルに作られました。
世にダッハウモデルと呼ばれる所以です。
有名なアウシュヴィッツもダッハウモデルです。
ここに来るまで私は知らなかったのですが、悪名高いダッハウも、初期の頃はまだ人の倫を外していなかったらしいです。
初期の頃は食事もきちんと与えられ、生活環境も、通常の刑務所と大きく変わらなかったとか。
受刑者の健康管理まできちんとされていたとありました。
実は初期の頃は処刑された人もさほど多くなかったのです。
が、ナチスが戦争を始め、ダッハウはナチスの直接の管轄下に置かれると、一変します。
まともに食事が与えられることはなく、部屋に大量に詰め込み、収容所では病気が蔓延。
収容された人はやせ衰え、処刑された人よりも、病気で亡くなった人のほうが多かったとも言われます。
最も許し難いのは、ナチスの敗戦が近づくにつれ、犠牲者が増えているという事実です。
最も犠牲者が多いのは敗戦の月。
敗戦が濃厚になるにつれ、せっせと善良な人を殺し続けたという神経はどうにも理解しがたいです。
現在のダッハウは非常に静かです。
かつて収容所の建物が立ち並んでいた場所は更地となって何もなく、その上には綺麗な青空が広がり、小鳥のさえずりが聞こえます。
その美しい景色は、悲しい過去を弔っているようでした。