******ベートーベンの生まれ故郷******
旧西ドイツの首都。
ドイツに来るまで、それがボンであると答えられなかった私は勉強不足だったというべきです。
第二次世界大戦後、ドイツが東西に分裂すると、それまでの首都ベルリンも二つに分裂。
特に西ベルリンは周りをぐるりと、東ドイツに囲まれることになり、首都機能を置くには防衛上好ましくなく、首都移転が検討されます。
ボンという中規模の都市が選ばれたのは、統一されたときに首都をベルリンへ戻しやすいように配慮したからだとか。
そのせいか、かつての首都らしいモダンな建築群はほとんどありません。
今見るボンは、かつての西ドイツ首都というより、古い歴史を感じさせる街並みが印象的でした。
街の中心ミュンスター広場に大聖堂が建っています。
ケルン大司教が市民にケルンを追い出された後、居を構えたのがボンですが、この大聖堂はMünster。
大司教が座するDomではありません。
追い出されたとはいえ、ケルン大司教の教会はあくまでケルン大聖堂で、ここはそれとは無関係。
が、それでもMünsterと名が付くだけあって、立派な作りでした。
内部にはミサで使ったのか、大きな布が天井から垂れていて驚きました。
ところで、かつての大司教の宮殿は今は大学になっているようですが、私は見逃してしまいました。
大聖堂からさほど遠くないので、寄ってみてもよかったと、ちょっと後悔です。
さて、ボンが旧西ドイツの首都であることを覚えていなかった私でも知っているボン出身の有名人がいます。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンがその人です。
運命や第九で知られる大作曲家ですが、耳が聞こえなかったことでも知られています。
聴覚を失い、絶望して書いたというのが、有名なハイリゲンシュタットの遺書。
結局、彼はその絶望から立ち直り、第九などの名曲を書き上げています。
聴覚を失ってなお、名曲を仕上げた才能もさることながら、作曲家にして聴覚を失うという絶望を克服した精神力に尊敬の念を感じざるを得ません。
その彼の生家ベートーベンハウスがボンにあり、さっそく行ってみました。
最大の目的はハイリゲンシュタットの遺書をこの目で見ることです。
絶望のあまり書いたと聞いていたわりには、筆跡がしっかりしていて驚きました。
そのあたりにも、彼の精神力の強さを垣間見れるような気がします。
ここの展示自体は、以前アイゼナハで見たバッハハウスに比べると、さほど興味を惹かれるものではありませんでしたが。
もう少し展示を工夫すればいいのに、と、ちょっと残念でした。
さて、ボンは大都市ケルンに近いこともあって、ビールはケルシュ。
ですが、一軒だけボンシュなるビールを提供する店があります。
その名もブロイハウス・ボンシュ。
味はケルシュに近いものがありますが、このビールの特徴は何と言ってもグラス。
手の形に合わせて歪んだ面白いグラスで飲むのです。
このボンシュとスペアリブを楽しんで、街をあとにしました。