バートノイエナー・アーヴァイラー(2014年8月17日)
******冷戦の遺産******
バートノイエナー・アーヴァイラーという長ったらしく、且つ聞き慣れない名前を初めて耳にしたのはドイツ人の同僚の口からでした。 デュッセルドルフ近郊でお勧めの町としての紹介でした。

実は地球の歩き方にも紹介があります。コブレンツ近郊の町として、わずかに数行の紹介のみ。

私がこの町に興味をもったのは、その数行の説明によるものではなく、ドイツ人の同僚が冷戦時代の核シェルター を見学できるといったからです。

その所在地は、ボンの更に南、ボンとコブレンツのちょうど中間くらいに位置しています。 冷戦時代、西ドイツは東西冷戦の最前線で、核の脅威が現実的なものだったのです。

いうまでもなく、ボンは旧西ドイツの首都。 いざというときに、政府要人が避難するための核シェルターが必要だったというわけです。

核シェルター 政府関係者3000人が30日間生活できる設備となっていたということです。 当然ながらその存在は極秘とされ、存在が公にされたのは東西ドイツが再統一され、冷戦が終結してから。 首都がベルリンに戻ると、ボン近郊の核シェルターに価値はなくなり、その維持費が政府の重荷となり、 政府は博物館として公開することにしたわけです。

国が分かたれ、東西冷戦の象徴であったドイツにあって、冷戦時代の遺産としてはベルリンの壁に匹敵する存在の ように、私には思われ、ドイツに住む以上見なくてはならないような気がしたのでした。

シェルターの入口には、この施設が博物館としてオープンしたことを知らせる日本の新聞記事の切り抜きが張られていました。 上記のことは、実はその新聞記事から得た知識です(笑)。

見学にはガイドツアーに参加する必要があるのですが、残念ながらドイツ語のツアーのみ。 が、代わりに、日本語で書かれた解説本を貸し出してくれました。

それにしても、総延長19kmとは、とんでもない規模の施設です。見学できるのは、そのほんの入口の部分のみ。 それでも、とてつもない施設を見学していることは実感できます。

核シェルターの床屋 当然ながらホテルのように快適という感じではありませんが、シャワー室はもちろん、床屋まで備えている というのが面白い。3000人の内訳に床屋さんも入っていたのだろうか?

また、精神衛生面も考慮して、ちゃんと娯楽まで考慮してありました。 ビールいくら、などの張り紙があり、そういう非常事態でもちゃんとお金を取るのか、とちょっと感心してしまいました。

また、政府が健在であることを伝えるために、テレビ放送をするための施設も備えていました。 これだけ大がかりな施設でも、たったの3000人が、たった30日間しか生活できないわけです。

どうコメントしたものか、私には言葉がありませんが、こういう施設が不要であるにこしたことはありませんね。

******ワインと旧市街******
ところで、バートノイエナー・アーヴァイラーという長ったらしい名前には理由があります。 バートノイエナーとアーヴァイラーという2つの町が合併してできた町だからです。

ドイツでバート(Bad)といえば、温泉のことですが、バートノイエナーも例外ではなく温泉の町です。 が、それ以上に有名なのはミネラルウェーターらしいですが、私はその味をみることなく町を去ってしましました。。

アーヴァイラーの城門 一方のアーヴァイラーは古い町並みが残る情緒のある町です。そして私が気に入ったのが、町をぐるりと囲う 城壁が残っていることです。

私が向かったのは、このアーヴァイラーのほう。 そして、何より嬉しいのはドイツを代表するワインの産地であることです。

ドイツといえば白ワインのイメージですが、入った店で勧められたのは、意外にも赤ワイン。 確か7ユーロくらいだったかと思いますが、味は好みの味で満足のいくものでした。

市内で夕食をとったのち、帰宅。 核シェルターの中が寒く、その後風邪をひいてしまったのは、頂けなかったですが。。。

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