******デュッセルドルフ近郊の世界遺産の宮殿******
デュッセルドルフから近い世界遺産といえば、何と言ってもケルン大聖堂が有名ですが、そのケルンのもう少し先
ブリュールという小さな町に、もう一つの世界遺産があります。
アウグストゥスブルク城です。
同僚から、外観が可愛すぎて、中に入る気にならなかった、と聞いていたので、私もさほど期待することなく、この日、訪問をしました。
が、中に入ると、そんな先入観は吹き飛びました。
とんでもなく豪華絢爛。
圧倒されました。
中を見ずに帰ってしまった同僚は、もったいないことをしたと言わざるを得ません。
中でも階段の間は圧巻です。
惜しむらくは、写真撮影禁止なこと。
売っていた絵葉書をガラスケース越しに写真撮りましたが、やはりイマイチですね。無念。
ところで、この素晴らしい宮殿を建てたクレメンス・アウグストは聖職にも政治にも関心を示さず、芸術にのみ関心を
示したという人物です。
思えば、あのノイシュヴァンシュタイン城を建設したルートヴィヒ2世も、系列が違うとはいえ、同じヴィッテルスバッハ家。
血は争えない、ということでしょうか。
彼が登場した時代というのは、なかなか面白い時代ですので、少し紹介しておきましょう。
彼の兄こそ、1437年以来ハプスブルク家が独占してきた皇帝位に唯一割って入ったカール・アルプレヒト(カール7世)です。
当時、ハプスブルク家は男系が断絶。
ハプスブルク家に次ぐ名門ヴィッテルスバッハ家にチャンスが巡ってきたわけです。
8つある選帝侯位のうち、ヴィッテルスバッハ家はバイエルン公、プファルツ伯を世襲していたのに加え、
ケルン大司教位も手中に収めていたこの時期はまさに千載一遇の好機。
そして、クレメンス・アウグストは、そのうちのケルン大司教という重要な地位を占めていたわけです。
にも、関わらず、政治に無関心でいられたのは、まさにルートヴィヒ2世を思わせます。
なんとか弟の支持を取り付けて、皇帝位を射止めて、カール7世として即位したカール・アルプレヒトでしたが、
男子がいないはずのハプスブルク家を継いだのは、男勝りの女傑マリア・テレジア。
ハンガリーの支持を取り付けたマリアテレジアに反撃を受けて、バイエルンの首都ミュンヘンまで陥落。
カール7世は失意のうちに病死し、ヴィッテルスバッハ家の皇帝位は一代限りで幕を閉じました。
さて、アウグストゥスブルク城に話を戻しましょう。
この城には別邸が用意されています。
大司教クレメンス・アウグストが鷹狩を楽しむために作った別邸です。
別邸というからには近いかと思ったら意外に遠かった。
45分〜1時間は歩いたと思います。
ようやく到着した別邸ファルケンルストは可愛らしい館でした。
が、それ以上に想像以上に時間がかかって、お腹がペコペコに。
空腹の中、長い道のりを町まで戻って、昼食に。
小さな町でしたが、ここで食べたイタリアンが最高でした。
ドイツで食べたイタリアンで一番おいしかったのはここだったかもしれません。
今一度、写真を見返してみると、OSTERIAというお店でした。