アーヘン(2014年7月26日)
******アーヘン******
ドイツに来て真っ先に行ったのがアーヘンでした。 というのも、2014年はカール大帝没後800年の節目の年。

いうまでもなく、アーヘンはカール大帝ゆかりの土地。 アーヘンを訪問するのにこれほど適した年はないわけです。

少しカール大帝について語っておきましょう。 そうしておかなければ、私がアーヘンにもつイメージを理解してもらえないように思います。

西ローマ帝国の滅亡以来、分裂していた西欧社会を一つにまとめ上げたのがカール大帝だと いっていいでしょう。彼の帝国は現在のフランス、ドイツ、イタリアにまたがる大勢力でした。

彼の父の代に、イベリア半島から侵攻してきたウマイヤ朝イスラム帝国を撃破。 向かうところ敵なしだったイスラム国家の侵攻を防いだことで、名声は一気に上昇。

アーヘン大聖堂① そして遂に、カール大帝の代になって、ローマ教皇から帝冠を授かることになります。 いわゆるカールの戴冠です。

西ローマ帝国滅亡以来、皇帝は東ローマ皇帝ただ一人であったはずが、二人目の皇帝が出現したわけです。 このことは西欧社会が東ローマ帝国と決別し、カール大帝を盟主に仰いだことを意味しました。

また、ローマ以来未開の土地であったザクセンを討伐し、その支配下に加えたことも大きいでしょう。 EU以前で、唯一西欧社会が統一された事例と言われたりするのはそのためです。

そのカール大帝が首都に定めたのが、ここアーヘンなのです。

ちょっと語りすぎた気もしますが、、、とにかくアーヘンは特別な土地なのです。 そう思うからこそ、真っ先に訪れたのでした。

アーヘン大聖堂② さて、大聖堂ですが、これは世界遺産に登録されています。 なんとカール大帝の頃に建てられた礼拝堂が元になっているというので、約1200年前の建築物というわけです。

もっとも、大半は後に増築されたもので、当初はかなり小さなものだったようです。 ところで、フランク王国はローマ帝国以来300年ぶりくらいに誕生した世界帝国だというのに、遺跡が少ない。

裏を返せば、それだけローマの建築技術が素晴らしかったということです。 フランク王国ですら、ローマの建築技術に及ばず、あれほどの巨大建築物を建てることはできなかったわけです。

そう思えば、後に訪問を計画しているトリアーのローマ遺跡を見る楽しみが増しますね。

また、話が逸れてしまいました。。。 後に訪問したケルンに比べるとアーヘン大聖堂はこぶりですが、その代わりに品を感じました。 こういう気品を感じさせる大聖堂は私好みです(笑)。

アーヘン市街 アーヘンといえば、アーヘナープリンテン(Aachener Printen)というお菓子が有名で、私もNobisという老舗で 買って帰りました。シナモンなどの香辛料がきいた甘いお菓子で、こういった香辛料が苦手な方には向いていないでしょうね。 私は、可もなく不可もなく、というところです。

この日は私にとって初の車旅行。デュッセルドルフから約1時間という小旅行でした。 また、車を止めた場所をきちんと把握できておらず、人に道を聞いてようやく大聖堂に到達するという何とも不慣れさを 露呈した旅でもありました。

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