ハンガリー史①(ハンガリー全盛期)
---建国まで---
ハンガリーがかつてヨーロッパの強国の一つ だったと言うと、多くの人が驚きます。 ヨーロッパ世界を恐れさせ、後にはヨーロッパ社会の盾となった国。 近代では、二つの世界大戦で敗戦を経験し、 戦後はソ連に自由を奪われながらも、不屈の精神を見せて、 今目覚しい経済発展を見せている国。

また、ハンガリーは最も西にあるアジア とも言われるアジア系民族国家でもあります。 実際、ハンガリーには蒙古班がある赤ん坊がときどきいるようです。 日本人にしてみたら、なにやら親近感 が沸いてきます。 そんな国の歴史を少しのぞいてみることにしましょう。

英語の綴りの"Hungary"の"Hun"はフン族のフンだという説があります。 実際にハンガリーの主要民族であるマジャル族 も、フン族と同様の東方から来た騎馬民族です。 そのあたりから話を始めます。

マジャル族がハンガリーの地にやってきたのは896年と言われています。 当時の王がアルパード王。 伝説によれば、なんと鳥から生まれたといわれています。 まだ伝説の時代といってよいのかもしれません。

この頃のマジャル民族は典型的な騎馬民族で、 過去ヨーロッパを震撼させたフン族と同様に、 ヨーロッパ社会に侵略を繰り返して、恐れられていました。

---イシュトバーン1世---
転機が訪れたのがアルパードの曾孫にあたるゲーザの時代です。

彼はヨーロッパ社会の一員となることでマジャル民族の生きる道を 探ろうとします。 つまり、それまで続けてきた侵略に終止符を打とうとしたわけです。 そのために選んだのがキリスト教への改宗 でした。

その息子のイシュトバーンは、 自ら布教活動を行うほどで、ついにローマ教皇に認められて、 ハンガリー国王の王冠を授けられます。 それが1000年のことです。

オーストリアやチェコよりも200年近く早く国家としての 形態を整えたことになるわけです。 また、日本では藤原道長の全盛期で、 平安文化が大きく花開いた時期になります。

ただ、このキリスト教化には反対も根強く、 真のキリスト教国となるまでにはかなりの年月を要したようです。

---モンゴル来襲---
あまり知られていませんが、この時期のハンガリーは 現在のルーマニアやセルビア、クロアチアまで支配する 中欧最大の国でした。 ただ、主に東へ勢力を伸張させたために、西への影響力はさほど もたなかったようです。

それでも、この時期のハンガリーの勢いの名残として、 それらの国にマジャル人が多く住んでいて、 そのことが今も時々政治問題のとなっているようです。

話が少しそれました。 13世紀に話を戻します。 13世紀に世界史を揺り動かす国家がユーラシア大陸に誕生します。 モンゴル帝国がそれです。

膨張を続けるモンゴル帝国は1241年、ついにヨーロッパへと到達します。 当時モンゴル軍を率いていたのは、チンギス・ハーンの孫 バトゥ。 この天才的司令官に率いられた軍は各地で勝利を収めて、 ハンガリーへも侵略します。 ハンガリーは国王ベーラ4世自ら軍を率いて対峙するも、大敗を喫します。

当時のモンゴル軍は刃向かうものに対しては容赦がなく、 このときもハンガリー領内を 徹底的に破壊しつくします。

ハンガリーにとって幸運だったのは、この年に モンゴル第2代皇帝のオゴタイ・ハーンが死去したために、 この遠征軍が一斉に撤退したことです。 そんな重要な時期に中央政界から離れているわけにはいきませんからね。

が、ハンガリーの受けたダメージはあまりに大きく、 栄光の時代は一旦終わりを告げることになります。

日本では源氏の正統が途絶え、北条氏の権勢が強まった時期にあたります。

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